2010年11月12日金曜日

シミローグ読書会の雰囲気

こんにちは。間宮緑と申します。
この記事では、公開読書会第二部のディスカッションに関連して、シミローグ読書会が、ふだんはどんな感じで集まっているのかを、みなさんにお話ししたいと思います。

この読書会はふだんは月に一度のペースで開かれています。メンバーはみな一癖も二癖もあり、文学に対してひたむきで、各々いろいろな本に関心があります。児童文学、思想哲学、SF、ミステリ、古典、――といって、みんな「たくさん読んでますよ」という読書自慢はせず、「こういう本に夢中なんです!」と嬉しそうに語ってくれます。
そして議論に入ると、それぞれが個性的な読み方をしていることがわかります。仔細に分析的に読んだり、文芸批評としての意見を述べたり、思想や社会という領域から俯瞰的に捉えたり。ときには真っ向から反駁し合って、議論が白熱することもありますが、それもまた心地好いのです。

読み方の個性もさることながら、この読書会では大別して(課題図書を小説に絞っていえば)創作、批評/思想、編集という、三つの視点が加わっているのが特徴です。朝吹さんや僕のような原稿を書く者、坂上秋成君のような批評家、そして窪木さんを始めさまざまな媒体で編集に携わる人たちが参加しています。

たとえば「いかに小説を制作するか」というような論題は、ふつう、「書く」こととは、とか、どうやって「書く」か、とか、「書く」という動詞に素朴に収斂されがちですが、この読書会では、しばしば「編集」という視点からも語られています。「編集」という作業は、一種のデータである文章を「本」という物へと具体化するためには、欠かせないものです。原稿を書く人間にとっても、原稿は書いてしまったから後は関係ないよというわけではなく、物と思考とは絶えず刺戟し合っているのです。「編集」の視点からの創作論は、小説の書き手としては勿論、読者としても、とても興味深い部分です。

僕は子供のころから、周りに本の好きな人がほとんどおらず、本というものは一人で読むものだと思っていました。けれどもいまは、同じ本を複数人で読み、顔を合わせて話をするという、読書の大きな楽しみを知っています。読書会は、人に褒められるような立派な意見を発表する場でも、競うための場でもなくて、本を読んで話をする、それが楽しいんだ、という皆の根源的な気持が一番大切なことだと思うのです。公開読書会第二部のディスカッションも、そういう場になるといいな、と思っています。

僕はこの読書会に参加しているメンバーと話して、気持ちのよい人たちだなあと常々感じています。みなさんも、かれらと話すことで、いつもの読書がさらに楽しくなるかもしれませんよ。

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